現代音楽偉人伝 第1章『レオ・フェンダー』のあとがき
皆さんこんにちは。
ある時は無頼のベーシスト
ある時は気まぐれ作曲家のyoukeyです。
突然ですが、皆さんはフェンダーのギターやベースは好きですか?
僕は特に好きでも嫌いでもないといった印象です。
ですが、ギターやベースを嗜む人にとっては少し特別に感じる名前の響きではないでしょうか。
例えば、身近な人が「俺、フェンダーのギター買ったんだ」と言えば、大半のギタリスト・ベーシストが「おっ!?」と反応してしまうと思います。
(まあ、その後にカスタム・ショップかアメスペかアメスタかフェンジャパかでその反応ががらりと変わりますがね…)
このことから、フェンダーという名前は現代の音楽シーンにおいて多大な影響を残しているのです。
今回、この現代音楽偉人伝シリーズを始めようと思ったきっかけも、そういったところからでした。
フェンダーを支えたドン・ランドールの活躍
今回、レオ・フェンダーという人物を調べるのにあたって
やはり一番印象に残ったのは、彼を取り巻く人物達でした。
レオをギター業界へ導いたドック・カウフマン。
レオと共に、ギターの新たな可能性を引き出したジョージ・フラートン。
現在もレオの遺志を守り続けるフィリス・フェンダー。
そして最も印象に残ったのが、フェンダー社のマーケティングを任されていた
ドン・ランドールです。
動画ではあまり触れませんでしたが、ランドールとレオはフェンダー社設立以前からの付き合いがあり、レオとドック・カウフマンが接触する際にも一役買っています。
また、彼の非凡なマーケティングの才能がフェンダー社を世界のトップブランドへとのし上げたのです。
フェンダー社のギター業界への参入は、テレキャスターから始まりました。
これにはランドールが絡んだ少し面白いエピソードがあります。
まず1949年に試作機のエスクワイアが完成し、1950年にはブロードキャスターの名が与えられ、一般販売が開始されます。
この時、ブロードキャスターの名を与えたのがドン・ランドールです。
しかし、ブロードキャスターという名前はグレッチ社のスネアドラムに同名の商品があったため、グレッチ社より苦情が入り名前の変更を余儀なくされました。
そこでランドールは
「これからの時代はテレビだ!テレビで放映された時に映えるからテレキャスターだ!」
と、このギターにテレキャスターの名を与えたのです。
テレキャスターの“テレ”ってテレビの“テレ”だったんですね。
ランドールはその後も、ツインリバーブやストラトキャスター、ジャズマスターなどの名づけ親になっています。
本人曰く、CBS期以前のフェンダー商品は、プレシジョンベース以外全てランドールの命名とのことです。
彼なしでは今のフェンダーは無かったと言っても過言ではないですね。
余談ですが、ランドールはレオがフェンダー社をCBSへ売却する際にも大きな働きをしています。
これに関してはちょっと長くなりそうなので、下のリンクからお願いします。
このように、偉人の影で活躍した人達を知れるのも、現代音楽偉人伝を作っていて楽しいところですね。
人の出会いって一期一会なんだな~と、しみじみ感じます。(小並感)
もし、現代音楽偉人伝の動画をご覧になったことがない方は、この機会に是非一度観てみてください(´ω`*)
それでは皆さん、良い1日を♪